西尾市(にしおし)は、愛知県の西三河に位置する市。愛知県中央部を北から南へ流れる矢作川流域の南端にある。 抹茶(西尾茶)や「一色産うなぎ」の産地として知られる。順海町通りを含む西尾駅西側の一帯は多くの寺社が残ることから「三河の小京都」とも呼ばれる。 市名の由来 1564年に御剱八幡宮に奉納した鰐口の銘文には「三川國吉良庄西尾御剱鰐口酒井雅楽助政家寄進」とあり、この銘文がこれまで「西尾」の地名の初出とされていたが、2009年(平成21年)9月に横浜国立大学名誉教授の有光友學が発表した『今川義元書状』(江川文庫所蔵)に「西尾之御事」「西尾城」という記述があり、書状の内容から吉良氏が今川氏に反乱を起こした際のものとみられている。吉良氏の反乱は天文18年(1549年)と弘治元年(1555年)の2度あり、書状の日付は「十月廿三日」で、この時期に反乱の佳境だった弘治元年のものと判断されている。現時点では西尾の地名が歴史に現れる最初の史料になっている。 このほか、『三河物語』には、徳川家康による桶狭間の戦い後の三河統一戦で「西尾の城を得」と記載されている。また、今川氏真判物に「永禄四年酉年、六月十一日、西尾走廻」とある。 なお、かつては同じ愛知県内に類似した名称である尾西市(2005年に一宮市に編入され消滅)があったが、こちらは「尾張地方の西」という意味で、当市の名称との歴史的な繋がりは全く無い。 三河三都とは 西尾商工会議所は「豊橋・岡崎・西尾で、三河三都なり」と主張している。1932年(昭和7年)発行の『西尾町史 第3巻』の序文に、「吉田岡崎と共に参河三市としてその繁栄を誇りたり」という記述が見える。吉田は豊橋市のこと、岡崎は岡崎市のことである。いずれも1932年(昭和7年)以前に市制施行していたが、当時の西尾町は市制施行前であり、参河三市という表現はおかしなものである。また、豊橋出身の夏目重蔵の三河名所図絵(江戸末期)に、三都流行、吉田岡崎西尾は本国鼎の如く、各其繁盛を争う、という記述もあると、西尾町史に紹介されている。
交通 鉄道 名古屋鉄道(名鉄) 西尾線:(安城市)- 米津駅 - 桜町前駅 - 西尾口駅 - 西尾駅 - 福地駅 - 上横須賀駅 - 吉良吉田駅 蒲郡線:吉良吉田駅 - 三河鳥羽駅 - 西幡豆駅 - 東幡豆駅 - こどもの国駅 -(蒲郡市) 市の中心となる駅:西尾駅 かつては西浦駅や蒲郡駅(いずれも蒲郡市)まで優等列車が走っていた。 西幡豆駅辺りからこどもの国駅は、名古屋方面から東海旅客鉄道の新快速を利用の上、蒲郡駅で名鉄蒲郡線に乗り換えた方が早く着く事が多くなっている。また三ケ根駅や相見駅までパークアンドライドで向かうことも可能。 その他東海道新幹線が豊橋駅 - 三河安城駅間で約 1km にわたって当市北部を通過している。 知立バイパスの安城西尾ICがある南中根町付近からは、南桜井駅(安城市)が近いほか、和泉工業団地東バス停から南桜井駅、桜井駅、碧海古井駅、安城更生病院(碧海古井駅から西へ約1km)方面へあんくるバスが出ている。 西尾駅 米津駅 吉良吉田駅 隣接市町村への連絡 名鉄西尾線(新安城 - 吉良吉田) 西尾駅から新安城駅へは昼間帯で毎時4本、そのうち2本は吉良吉田駅から西尾駅を経由して名鉄名古屋駅方面へ直通する急行列車となっている。西尾 - 吉良吉田間は昼間帯には普通列車の運行がないため急行もこの区間では各駅に停車する。 名鉄蒲郡線(吉良吉田 - 蒲郡) 路線バス 名鉄東部交通バス - 自治体がバス運行補助金を拠出し、名鉄東部交通が運行している。運行頻度は毎時1-2本程度で、設定のない時間帯もあるが、西尾-西尾市民病院は路線の重複があるため、昼間帯の運行頻度はやや多い。 一色線:西尾市民病院 - 西尾 - 深池 - 福地 - 憩いの農園口 - 市子 - 一色大宝橋 - 三河一色 西尾 - 西尾市民病院(昼間帯と朝夕の一部) - 総合体育館西尾東高校前(朝1本往路のみ)の運行が延長され、三河一色→一色渡船場→一色大宝橋は昼・夕の2本のみ運行。 岡崎・西尾線(三和小学校前・高須経由):西尾 - 西尾市民病院 - 総合体育館・西尾東高校前 - 三和小学校前 - 中島 - 高須 - 藤田医大岡崎医療センター - 岡崎駅西口 岡崎・西尾線(室場・下青野経由):西尾 - 西尾市役所前 - 高河原 - 室場 - 永良 - 中島 - 下青野 - 藤田医大岡崎医療センター - 岡崎駅西口 - 芦池橋 - 東岡崎 朝の一部と最終は岡崎駅西口止まり。 いずれの運行状況も平日のもの。 ふれんどバス 名鉄三河線碧南 - 吉良吉田間の鉄道廃止に伴い、2004年4月1日より運行開始した代替バスで、旧沿線区間の西尾市など2市2町によるふれんどバス運行協議会が、名鉄バス東部に運行を委託している。運行頻度は毎時1-2本で、碧南と吉良吉田で鉄道路線に連絡している。但し名鉄東部交通バス路線とは運賃体系が異なる。西尾市内には西小梛から刈宿まで9つの停留所が設置されている。 2005年4月1日に西尾市関係分として、 西小梛、楠村、刈宿の3停留所を増設、寺津大明神を寺津二ッ家と改称し、巨海と共に移設した。 碧南駅 - 西小梛 - 平坂郵便局前 - 平坂小南 - 平坂港前 - 楠村 - 寺津二ッ家 - 寺津神社前 - 巨海 - 刈宿 - 一色高校西 - 吉良吉田駅 - 吉良高校 六万石くるりんバス(コミュニティバス) 一色地区コミュニティバス「いっちゃんバス」 吉良地区や幡豆地区にコミュニティバスは存在しない。 道路 道の駅にしお岡ノ山 国道 国道23号(知立バイパス・岡崎バイパス) (幸田町)- 西尾東IC - 小島江原IC - 道の駅にしお岡ノ山 - 中原IC -(藤井IC)- 安城西尾IC -(安城市) 国道247号 主要地方道 愛知県道12号豊田一色線 愛知県道41号西尾幸田線 愛知県道42号西尾吉良線 愛知県道43号岡崎碧南線 愛知県道46号西尾知多線 隣接している自治体 愛知県 碧南市 安城市 岡崎市 蒲郡市 額田郡幸田町 知多郡南知多町(海上で隣接)
名所・旧跡・観光スポット 名所・旧跡 主な城郭 東条城 八面城 - 荒川城(荒川義広)とも呼ばれる。 西尾城 室城 - 東条吉良氏の宿老と言われた”富永氏”の東条城へ通じる街道筋の防衛拠点として築いた城(現在は城跡として残っている) 別名「牟呂城」とも。 岡山陣屋 - 高家吉良氏の陣屋。「吉良陣屋」とも。 姫山陣屋 - 岡山陣屋の支城。市指定史跡[21]。 主な寺院 金蓮寺 - 金蓮寺は源頼朝が三河守護安達盛長に建てさせた「三河七御堂」の一であるとの伝承があるが、現存する弥陀堂は頼朝の時代よりはやや下った鎌倉時代中期の建立である。阿弥陀堂は国宝に指定されている。 華蔵寺 - 吉良家の菩提寺。吉良家代々の墓や、吉良義央寄進の経蔵や自身の木像などがある。 花岳寺 - 東条城主・吉良氏の菩提寺として創建された。本堂は1684年(貞享元年)に、吉良義央から姉・光珠院の菩提を弔うために寄付された祠堂金を元に再建されたもので国の登録有形文化財に登録されている。義央遺品の「後柏原天皇宸翰御消息」は国指定重要文化財。 実相寺 - 西条城主・吉良氏の菩提寺。 勝楽寺 - 1337年(延元四年)に足利尊氏によって創建されたと伝わる。本尊の子安地蔵菩薩は、後白河法皇の御作ともいわれる。 長圓寺 - 板倉勝重の菩提寺。 養寿寺 - 806年(大同元年)、勤操阿闍梨(ごんそうあじゃり)が建立した堂をその起源とする。1683年(天和3年)建立の鐘楼門を始め、江戸期の建造物が数多くある。3月最終土日に行われる涅槃会は「矢田のおかげん」としてつとに知られる。 西福寺 専長寺 源徳寺 福泉寺 東向寺 不退院 宝珠院 紅樹院 安休寺 主な神社 久麻久神社本殿 - 市内に久麻久神社は八ツ面町と熊味町の2か所あるが、国の重要文化財に指定された本殿は八ツ面町にあり、鰐口・棟札2枚・厨子が附[注釈 2]指定を受けている。延喜式式内社で、幡豆郡熊来郷と読みは同じである。 上永良神明社の大椎の木 - 樹齢約1000年と推定される樹高8m、根囲20m、胸高囲7mの椎の巨木で、神明社の大シイの名称で国の天然記念物に指定されている。 天竹神社 - 1883年(延元四年)に創建された「綿の神様」を祭る国内で唯一の神社で、全国の綿業者らの信仰を集める。799年(延暦18年)に天竺(インド)人だと名乗る綿の種を持った青年が小船で漂着した故事から、青年を棉祖神として祀る。毎年10月の第4日曜日に、漂着の故事にちなんだ船みこしの奉納や、地元の保存会員による綿打ちの儀式が営まれる棉祖祭が開かれる。江戸時代の書物に幡豆郡天竺村が綿栽培の発祥地であると記されていた。 瀬門神社 寺津八幡社 伊文神社 御剱八幡宮 幡頭神社 諏訪神社 主な史跡 正法寺古墳 黄金堤 藤波畷古戦場 殉国七士廟 観光スポット 西尾市岩瀬文庫 - 実業家の岩瀬弥助が1908年に私設図書館として創設した。のちに西尾市に移管されて公立図書館として使用され、2003年に博物館となった。幅広い分野の書籍が約8万冊収蔵されている。旧書庫と旧児童館(現・西尾市立図書館おもちゃ館)は国の登録有形文化財に登録されている。また収蔵品の後奈良天皇宸翰般若心経(ごならてんのうしんかんはんにゃしんぎょう)は国の重要文化財に指定されている。 三河工芸ガラス美術館 - ガラス工芸を扱った私設美術館で、2002年版の『ギネス世界記録』に掲載された巨大万華鏡があり、体験工房ではステンドグラスや万華鏡などのガラス工芸が体験できる。 愛知こどもの国 - 1974年開園の児童遊園地。園内のゆうひが丘を走るミニSLのこども汽車は、軌間が762mmのナローゲージとも呼ばれ、2編成とも開園に際して、福島県にある協三工業で新しく造られたものである。これがきっかけとなり、全国の遊園地やテーマパークに向けて、ミニSLが数多く新造されることになった。 吉良温泉 - 沿岸一体は三河湾国定公園に含まれる風光明媚な地にある。宮崎海水浴場(吉良ワイキキビーチ)が近くにあり中京圏のリゾート地としても知られる。沖には梶島が位置している。 尾崎士郎記念館 - 吉良町出身である尾崎士郎の記念館。ゆかりの品々を展示。 平原の滝 佐久島 一色さかな広場 抹茶ミュージアム 和く和く 尚古荘
古代においては、西尾市中心部(八ツ面山の西側)にあたる地域は幡豆郡熊来郷と呼ばれていた。古墳時代中期に築造された、吉良町にある三河最大級の前方後円墳・正法寺古墳は、対岸の宝塚1号墳(三重県松阪市)と類似した形状をしており、伊勢湾や三河湾の海上交通で覇権を得た豪族によるものと考えられる[7][8][9]。 奈良時代には古代寺院志貴野廃寺が造営された[10]。平安時代に荘園・吉良荘が置かれ、矢作川(現矢作古川)を境に、西条と東条に分けられた。鎌倉時代、13世紀に足利氏宗家第3代足利義氏が、承久の乱の恩賞として額田郡を領有し、鎌倉幕府の三河守護等として東海道矢作東宿(愛知県岡崎市明大寺町)に拠点を構え、地頭を務めた吉良荘の西条城(現西尾城)に庶長子吉良長氏を、東条城にその弟の吉良義継をそれぞれ置き、ここに吉良氏が発祥した。その後、足利氏宗家第四代足利泰氏の七男一色公深が吉良荘一色に分立され一色氏が、吉良長氏二男の今川国氏が今川荘に分立され今川氏が、それぞれ発祥するなど、足利氏支流の分立がなされた。室町時代には、東条・西条の両三河吉良氏は相伴衆とされた。 応仁の乱時や戦国時代、吉良氏は西条吉良氏と東条吉良氏に分かれて対立し、享禄2年(1529年)、岡崎城の松平清康により、東条吉良氏の分家荒川義広の居城・尾島城(小島城)が攻め獲られた。吉良氏はやがて庶流の駿河守護今川義元に隷属するようになる。義元の死後は、岡崎城の徳川家康から攻撃を受けるようになる。永禄4年(1561年)には、東条城の正面にあたる深溝城(額田郡幸田町深溝)を居城とする深溝松平家松平好景が善明堤の戦いで討たれるが、その後家康家臣の酒井正親が西条城を奪い、西尾城と改称した。同年の藤波畷の戦いでは西条吉良氏家老の富永忠元が討たれた。その後東条城の西条吉良氏・吉良義昭は降伏して岡崎に移され、東条城には東条松平家が入った。また義昭の兄吉良義安は、東条吉良氏を継いでいたが、徳川家康と親しく、義昭の逃亡後、家康に許されて東条西条の吉良氏を統一した。 江戸時代には、西尾藩や大多喜藩小牧陣屋等が置かれた。2011年に編入合併した幡豆町や吉良町には、旗本となった吉良家がかつて持っていた知行、八箇村3000石の領地が飛び地の形で点在していた。ただ赤穂事件で義央が討ち取られた後、1703年に吉良家は改易となり、旧吉良領の八箇村は、西尾藩のほか大多喜藩や沼津藩などの飛び地、寺社領、天領といった様々な領主が統治することになり、その後江戸期を通じで吉良氏は統治に関与していない。 産業では、1564年に愛知県内最古の塩田・白浜吉田塩田が作られるなど、古くから製塩が盛んで、良質とされた饗庭塩は矢作川を上り岡崎城下の塩座や、さらには足助街道、三州街道を通り、遠く信州塩尻宿(長野県塩尻市)まで運ばれた。
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